ハンバーガー屋の経営ブログ

ハンバーガー屋さんを開業するまでの計画&オープン後の日常を綴っていきます

ハンバーガー屋を開業するまでのこと

ハンバーガー屋の開業までを発信していきます

 

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はじめまして。

 

2019年4月蒲田駅周辺ハンバーガー屋の開業を計画中の「ハンバーガーおじさん」です。現在29歳、もうすぐ30歳、フリーランスでWEBディレクターをしています。

 

諸々の設定も済んでいませんが、いつか始めようと1年が経過してしまったため、まずは自己紹介を兼ねてハンバーガー屋を開業したいと思ったキッカケとこれまでのことを綴っていきたいと思います。

 

お店を始めたいと思ったきっかけ

 

僕がハンバーガー屋を始めたいと思ったのは…

 

あれ?いつだったのだろう…?

 

高校生の頃からいつか自分のお店をやりたいとか、サラリーマンじゃなく自分でビジネスをしていきたいと考えていました。

 

キラキラした夢というよりは、どうせロクな大人になれないだろうというように自分をとらえていたからだと思います。

 

きっとサラリーマンになって会社務め出来るような「まともな大人」になんてなれないだろうし、何より、僕を疎外するこんな世界をぶっ壊してやりたい。どこか居場所が欲しい。

 

そんな少し暗いところから始まった夢でした。

 

しかし、高校を卒業してからの僕は、家族と縁を切って地元からも離れて、自立した大学生活の中で多くの人に助けてもらい、評価をしてもらい、愛してもらい、社会の中で居場所が出来た。

 

それでも「自分のお店を持ちたい」という思いは変わりませんでした。

 

あの頃の自分のように居場所がなくて死にたくて困っている人たちの立ち寄れる空間にしたい、おかしいと思ったことを変えていけるような社会の中で影響力のある人間になりたい。

 

今思えば、エゴまみれで自分を高く見積もっていた若者でした。

でも、優しい中二病患者だったとも思います。

 

大学で経営学を専攻し、個人では社会学にどっぷりハマる4年間を過ごしていたので、「将来自分でビジネスをしたい!」「社会を変えたい!」という思いは持ちつつも、まだアプローチの方法として「ハンバーガー屋」を決意していたわけではなかったと思います。

 

ただ、当時のレポートを見返すと「日本でのファストフードの遷移と文化」なんてものがあったので忘れているだけでその頃から、強く意識していたのかもしれません。

 

そんな大学4年生を終えようとした頃、僕は海外に行くことを決意していました。

 

ワーキングホリデービザで海外に行くことで心は高鳴っていましたが、とにかくお金がない。

 

それまで新聞屋で住み込みで働きながら大学に通っていた為に、飲食店でのバイト経験すらなかったので、1単位を残し計画留年をしてカフェや、ホテルなどで経験を積みました。

 

その頃に出会ったのが原宿の「グレートバーガー」でした。

 

グレートバーガーは日本でグルメバーガーを広めたパイオニアの一人だと思っています。

 

グルメバーガーと言えば「ブラザーズ」など18年になりますし、グレートバーガー以前から日本の市場には存在していたし話題にもなっていたそうですが、「ハンバーガー=お洒落でかわいい」という印象を市場に落とし込んだのは「グレートバーガー」なのかなと。あくまで、これは個人的な見解ですが、少なくとも僕にとってはそうでした。

 

そして、大学5年生を卒業と同時にワーホリビザを使ってカナダのトロントへ!

 

トロントを選んだ理由はハンバーガーの本場アメリカの隣国で「人種のモザイク」と言われるほど多くの人種が生活している大都市だからです。(アメリカはワーホリビザがないので)

 

カナダトロントでの1年間

カナダトロントでの1年間

カナダトロントでは毎日ハンバーガーを食べて生活していました。

ハンバーガハンバーガー言いながら、浴衣で生活をしていたこともあり、現地のカナダ人たちも興味を持ってくれて、いろいろなお店に連れて行ってくれたり、流行り廃りを教えてくれました。

 

とある雑誌のBEST100を制覇したころでしょうか、僕はここでハンバーガー屋を始めることになりました。(今回は経緯については省きます)

 

 といってもテイクアウトやデリバリーでの販売や、週末はイベントに呼ばれてベンダーとしてハンバーガーを提供…といった感じです。

 

カナダでのこの活動が僕にとって初めてのハンバーガー作りであり、試行錯誤しながら知らない人たちに自分の作ったハンバーガーを喜んでもらえた経験は、僕が「ハンバーガー屋を開業する決意」を固める大きな出来事だったと思います。

 

カナダハンバーガー修行からの帰国後

カナダハンバーガー修行からの帰国後

 

決して、渡航時に「ハンバーガー修行」と意気込んでいたわけではありませんが、終わってみればハンバーガー漬けの一年間でした。

 

あれから6年が経った今でも、カナダの友人から美味しいハンバーガーの情報が送られてくるので「僕=ハンバーガー」だったんだなあと。

 

さて、帰国後ですが 職業訓練校でWEBクリエイター科に半年間通いました。

 

ハンバーガーに対する熱い思いを育てて帰国したにも関わらず、何故WEB業界だったのか…!?

 

 現地でビジネスをしている中で、もっとITの技術を活かした飲食店を展開できるのではないか、そんなことを考えていました。

 

とは言え、当時はぼんやりと「WEB=かっこいい」くらいだったと思います。

 

自分でサイトやフライヤーを作ったり、WEBマーケティング にも活かせるようになりたいとは思っていましたが、まあ半年間くらい職業訓練校で勉強して、半年間くらい派遣で実務経験を積めば十分だろうなんて甘く考えていました。

 

その後は、1年間オーストラリアでハンバーガー修行をしよう!なんて考えていたことを覚えています…。

 

まさか、その後もWEB業界で働き、事業部長になったり、働いていた会社が倒産したり、更にはハンバーガー屋の開業前にWEBで独立するなんて全く想像もしていませんでした。

 

当時の計画と現実

当時の計画と現実

カナダのハンバーガー修行から帰国して職業訓練校でWEBを学んでいた当時は24歳でした。(現在29歳、もうすぐ30歳)

 

その後は25歳でオーストラリアでハンバーガー修行をして、26-28歳で空間×ITを活用する企業で三年間ほど働いて29歳でハンバーガー屋を開業!

 

そんな計画を持っていましたが…

 

実際は、半年間の実務経験なんかでは使いものにならず、渡航費用も全く貯まらずに結局1年半働きました。

 

その間、子供が出来て結婚をすることになり、オーストラリアにハンバーガー修行へ行くなんて言っていられなくなりました…。

 

それでも、嫁が半年間ならばと許してくれて嫁が出産後の実家に帰っている間にオーストラリアへハンバーガー修行に旅立ち、帰国後はお金が無いので理想の企業を探しながらゆっくり就活している暇もなく派遣で再びWEB制作会社で働き、そのまま正社員になるも半年後に会社は倒産。

 

事業譲渡という形で、多業種展開している企業に拾ってもらい2年近く働いたのちに、2018年5月に独立して現在はフリーランスでWEBディレクターをしております。

 

当初の計画では今頃すでにハンバーガー屋を開業している予定でしたが、まあ人生は計画通りにいきませんね。

 

このブログでは、ハンバーガー屋開業に向けて本格的に動き出したこの一年間での生活、そしてオープンまでの半年間を綴っていこうと思いますので、何卒宜しくお願い致します。