30歳になった僕と珈琲
30歳になった僕と珈琲(想い淹れ)
そりゃあ僕ともなれば一日に珈琲を2杯は飲んで生活しているわけだろう?
僕のちょっとばかし中二病なテイストを含んだキャラクターのせいなのか、女の子からは豆からこだわっていそうとか、美味しい珈琲ショップを知っていそうなんて言われながら過ごしている。
若いころは美味しい珈琲を求めて、世界一のカフェの街なんて言われているメルボルンで暮らしていたこともあったっけ。
それなのに、困ってしまうことに「うんちく」やら「雑学」やらを語れる程の知識もなければ経験もない。
メルボルンでバリスタの修行を考えていたのに、海を眺めていたらあっという間に半年がたっていたのも懐かしい思い出だ。
結局、僕の珈琲修業は学生時代に渋谷のベローチェでバイトしていたけど3か月くらいでバイトリーダーの女子大生にいじめられてやめてしまったくらいのもの。
まあ、そんな僕も実は先日30歳になってしまった。
30歳になってしまった、ではなくて30歳になれた!という驚きのほうが強いけどそれはここで説明することでもないだろう。
要するに、そろそろ一貯前に珈琲を語れるくらいの大人にならなければならない年齢になったということなんだと思う。
つまりどういうことかというと、先日の誕生日会でコーヒーメーカーをプレゼントしてもらった話が今日のブログのテーマというわけなんです。
写真のような珈琲に関する書籍は、開業のこともあり今年から読むようになったし、先月も本の調達の際に自然とコーヒーに関する本を買っていた。
けど、やっぱり実際に自分で、色んな豆を飲み比べてみたり、挽き方だったり、淹れ方とか色々試していかなければなと思いながらあっという間に数年が経ち気付けば30歳。
今回、コーヒーメーカーをプレゼントしてもらったのはそのキッカケになるかなと。
で、まあ、ちょっとキザに珈琲について語っちゃったりもしたいなあ…なんて思いつつも、やっぱりお店に繋げていかなければと深く思います。
何が素敵なのかって、今の僕の為に選んでくれたプレゼントってだけじゃなくて、未来の僕のことまで考えて選んでくれた…それがグッとくるんだ。
もちろん、そんな受け止め方は僕の勘違いかもしれないけどね。
そういうものを紡いでいって、素敵なお店をやろうとか誰かを想うとか、一つ一つのことが美しく育っていけばいいと思った。
冷たくなった珈琲と、同じく誕生日プレゼントに頂いたgloを片手に今日はこのあたりで…
ありがとう、世界。(誕生日を迎えるころには膝が軋んで歩けなくなっておりました)